いい父親

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もうすぐ父の日だ。

子どもが「父の日は、すきなごはんをつくってあげる」というので、何をつくってもらおうか考えている。

人生でうれしかった日のひとつは、この子が生まれた日だ。陣痛が来てから、ほぼ丸一日かかって生まれてきたことも相まって、病院からの帰り道、寝不足でフラフラのハイな状態でその日の新聞を買った。

あの日、この子が生まれてきてくれて、僕は父親にならせてもらった。

あの日から今日まで、この子が元気に生きていてくれるから、今年の父の日も、うれしく迎えることができる。

生まれてきてくれてありがとう、と子どもには口に出してよく伝えている。

自分を「ダメな父親」だと長らく思ってきたけれど、ある日から「いい父親」だと思うようになった。

「自分はダメな父親だから、いい父親になろう」とし続けるかぎり、僕は一生ダメな父親として生きていくことになるのだと気がついたからだ。

ダメな父親が前提になっている限り、どんなに努力を積み重ねても、ダメな父親である証明が積み重っていくだけだ。

足りないことがあっても、自分はいい父親だという前提から始めることにしたら、その証明が積み重っていくようになった。

今日も子どもは隣で寝てくれているし、父の日にごはんをつくってくれようとしている。

先日、机に向かってお絵描きをしている子どもの背中に向かって、「お父さんのことを、いいお父さんだって思う?」と聞いてみたところ、子は背中を向けたまま「うん」と即答していた。

うん、僕はいい父親なのだ。

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