感情をつくる(2026/01/24)
感情は、つくるものなのかもしれない。
これまで長く、感情というものを大切にしてきた。それは、僕が気分屋であり、感情によって行動が左右されるからだ。気分が悪くなると、いっきに何もしたくなくなってしまう。
20代前半のころからそうだった。自分でもよくわからないのだけれど、やる気がしなくなって、いわゆる生産的なことが何も手につかなくなってしまうのだ。
そういう「落ち込みモード」に入ってしまうと、1週間から、長くて2週間くらい続いてしまう。ソレは突然にやってくるので、予想しようがない。前触れや、わかりやすい前兆もなく(と感じていた)、原因もわからない。対応も対策もできなく、ほとほと困っていた。
落ち込まないようにすることが、自分の人生をうまくいかせる方法なのだ、と考え、なんとか落ち込まないようにあの手この手を試すようになった。アンガーマネジメントとか、心理学の本とか、心の動きをたくさん勉強した。
勉強をたくさんして、知識が増えて、対応策のストックもたくさん増えていった。自分の感情と向き合う練習もたくさんした。
でも、それでも、僕は感情に振り回され続けてきた。
蓄えた知識も対応策も経験も、少しは役に立った。と思いたいが、思いたいだけなのかもしれない。感情が暴走すると、なにも手をつけられなくなってしまう場面が、年に何度もある現実は変わってこなかった。
変わらない現実と向き合えば向き合うほど、僕は「感情」というものの、奴隷になっていたのかもしれない。実際の感覚としても、感情というものには逆らうことが難しく、感情が出した司令にいかに応えるか、もしくは乗りこなすか、のどちらかだった。それはまるで、気難しい上司のようだった。
この気難しい上司のような感情と、どう付き合っていくか、ということばかり考えてきた。モンスターを飼っているようで、こういう「自分」と一生生きていかなくてはならない。その前提のなかで、自分にできることを、がんばって、がんばって、がんばってきた。
いま僕は思う。
感情は、自分でつくりあげていくもの、なのではないだろうか。
ずっと、感情というものが先にあり、それは変わらないと思っていた。すでにつくられたもののであり、不変のものだと。つまり、怒ってしまう自分、イライラしてしまう自分、そういう自分はもはや固定された不変のものだと。
逆に言えば、なぜそう僕が考えてきたかというと、感情にある種の神秘性、崇高さを感じていたからだろう。
つまり、感情こそが、自分自身だと思っていたのだ。感情に従うことこそが、本来の自分を生かす、大事にすることなのだ、と信じていたのだと思う。
なので、感情をコントロールすることは、つまり、自分を組み替えることであり、本来の自分を加工してしまうことになってしまう。だから、感情はいつでも、大切にされ、粗末に扱ってはいけないものだと感じてきたのだと思う。
でも、ほんとうにそうなのだろうか。
感情は、単なる経験則からくる反応の1つに過ぎないのではないか。「確か」なものではなく、それこそchatGPTのように、蓄積してきたデータのなかから確率論で「それっぽいもの」として生成されただけなのではないだろうか。
僕は怒りたいのではない。本当はニコニコしていたいし、穏やかに受け答えしていたい。自分の家族に貢献してあげたい。だったら、その求めている「成果」に合わせて、感情を書き換えてやればいいのではないか。つまり、自分に嘘をつく、のだ。
感情に従うのではなく、求めている成果に感情を従わせる。
感情に従うというのは、いつもなら怒ってしまいそうな場面に出くわしたとき、「ここは怒るのが正解」と出力されてくるものに、乗っかるということ。
求めている成果に感情を従わせるというのは、同じ場面で、「ここは俺がカバーしておいてあげよう。家族に貢献できてよかった」と考えをスイッチさせるということ。
常に、成果を先に持ってくる。成果に合わせて、自分を変えてしまうのだ。本当はそんなふうに思ってないくても、自分を騙してしまって、「俺は貢献がしたかったんだもんな。よかったよかった。」と思い込ませる。
そんなことをしたら、自分が自分でなくなってしまう、とこれまでの僕なら思っていたところだが、そんな僕にひとつ頼りになることがある。
それは、みうらじゅんだ。
みうらじゅんは「マイブーム」という言葉をつくった人で、ありとあらゆるものを、マイブームにしている。
例えば、冷蔵庫に貼れるマグネット。水道屋工事屋さんなどが、ポストに入れたりしていた販促物だが、あれを、「冷マ」ブームとして集めまくっている。
また、地方のお土産屋さんでほこりをかぶって誰も買わなそうなお土産物を「いやげもの」と名付け、ひたすら買い物をしている。他にも、蛇のおもちゃを集めたり、天狗を集めたり、なんでも収集している。大量に集めないと、ブームにならないので、とにかくお金と時間をかけて、大量に収集するのだ。
では、みうらじゅんは、最初からマグネットや蛇や天狗が好きなのかと言えば、そうではないらしい。自分でも「なんでこんなことをしているんだ」と嫌になりながら、努力して好きになっていく、と言っている。自分をだましながら、ごまかしながら、「俺はこれを集めたくてしかたないんだ」と思い込ませているうちに、だんだんと好きになっていくらしい。
つまり、「そういう自分でいたい」から、そこ自分を仕向けていっているのだ。
このプロセス、やり口が、そのまま、先ほどの「感情をつくる」という話と重なってくる。だから、いったん僕もこのプロセスでやっていってもいいんじゃないだろうか。(これもまた、自分を思い込ませることの1つだ)
これからは、感情をつくっていく、という考えでやってみる。
感情と成果の立場を逆転させ、自分が本当に望んでいる成果を手にいれるために、感情を作り変えていく。







