自分をゆるめる技術 第9回 質にとらわれるのをやめる
「自分をゆるめる技術」第9回です。
一度、ここまで書いていきたことを振り返ってみましょう。
—- これまでのまとめ —–
第0回:身体の声を聞く
→身体からのメッセージを受け取れるようになると、感情に振り回されなくなる
第1回:肩の力を抜く
→肩の力を抜くだけで、自分がいっきにゆるむ。普段から体を固めてしまっている証拠。
第2回:軽率に始める
→なんでも軽率にやる。準備や計画は、どんどん自分を固くする
第3回:せっかくだから、をやめてみる
→「せっかく〇〇だから」はまじめ族の口癖。損得ではなく、自分が本当に喜ぶことを選ぶ。
第4回:そのときの自分に委ねる
→即興演奏のように対応することで自然に自分をゆるめることができるようになる。計画や準備しない練習でもある。
第5回:気を抜く
→意識して気を抜く練習。逆に気を抜かないと、強制的に気を抜かせるためにイライラすることが起きるようになる。
第6回:枠をつくって、そのなかで休む
→あえて枠をつくることで、そのなかで休めるようになるという技術
第7回:量を制限する
→あえて量を制限することで、余白を残し、リズムを保つ技術。「枠をつくる」の応用版でもある。
第8回:感情を言葉にする
感情を言葉にすることで、不安やストレスの負のループから抜け出すことができる。意識が良い方向に変われば、それにつられて現実も変わっていく。
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いかがでしょう。
ここまで完全にその日その日の思いつきで書いてきたわりには、こうやって並べてみると、まとまりがあるようにも感じます。
こうした即興的な書き方自体が、「第4回:そのときの自分に委ねる」であったり、「第2回:軽率に始める」であったりします。
とにかく始めることが大事です。始めさえすれば、始めた後の自分が「こっちだよ」と教えてくれるのです。これは大切なことなので、何度でも言っていきたいと思います。
さて、こうした流れを踏まえて、今日はお伝えしたいのは、「質にとらわれるのをやめる」ということです。
質、クオリティ。すごくたいそうな響きです。
高級な響きというか、軽々しく扱っていけない雰囲気がありますよね。
でも、そこに負けてはいけません。
確かに質というのは非常に大事です。
ダサいのが好きな人はいないと思います。僕もダサいのが本当に嫌です。ダサくなりたくないですし、ダサいものは作りたくありません。
じゃあ、自分がつくったものが、ダサくないか、上質なものなのかと言われると、それは別の話です。自分では一生懸命、いいものをつくろうとしていますが、人によってはダサいものかもしれません。
こうやって書いている文章もダサいと思われているかもしれません。
ただ、向上心だけはあります。
だから毎回必死で、なんとか辻褄を合わせて、「ダサくならないように」仕上げようとします。
「おいおい。『ダサくならないように』じゃなくて、かっこいいもの、上質なものを目指すべきだろう」と思われたかもしれません。
確かに、その通りです。
僕も、かっこいいものを作りたい、と思います。
でも、同時に「自分の技術が低い」という自覚も、僕のなかにあります。かっこいいものを作る前に、そこまでの技術を持ち合わせていないので、せめてダサくないものをつくろうと必死なのです。
目線が低いと言われれば確かにそうです。ただ、それが今の実力なので仕方ありません。そこは勘違いしていないつもりです。
この話、何が言いたいかと言いますと、「質を気にしすぎていない」ということなのです。
もし僕が「かっこいいものしか作りたくない」とこだわっていたらどうでしょうか。
かっこいいものを作りたい。けれど今の技術は低いので、かっこいいものは実際には作れません。そうすると、いつまでたっても、何も作ることができないのです。
例えば、本をつくりたくなったとします。
僕が思う「かっこいいデザインの本」はいくつもあるし、かっこいいデザインをする、ブックデザイナーの方も知っています。その方たちが作る本のように、かっこいい本を作ることを目指すとします。
でも、今の僕では届かない領域でもあります。
もし、僕がそれらと同じくらい「かっこいい本」しか出さない、と決めてしまったら、僕は少なくとも数年以上、技術研鑽しなくてはなりません。しかも、ほとんどの時間をスキル向上にあてなくてはいけません。
となると、僕は自分で本を書く時間がなくなります。僕は自分で書いた本を自分でつくって出す、そして販売するというところまで含めて好きですし、それをやりたいと思っています。
ところが、かっこいい本しか出したくないと思ったら、僕は途端に本が出せなくなってしまいます。
デザインもそうですが、僕が思うかっこいい本は、中身もかっこよかったりします。そうなると、かっこいい中身(文章)も書けるようにならないといけません。すると、今度は文章を書くことにも、時間をかけてスキル向上しなくてはならなくなります。
そう考えていくと、はたして僕は、いつ本を出すことができるのでしょうか。
仮にデザインを人にお任せすることで、自分は文章にだけ専念することはできるかもしれません。でも、それとて、今すぐ自分の理想のかっこいい本が出せるかといえばそうではありません。
このように結局、かっこいい、という理想的な質を求めれば求めるほど、創作からは遠のいていってしまうのです。
もちろん駄作をつくろうと進めているわけではありません。
ただ、理想の完璧なものを作ろうとするより、「今の自分でできる限りのことをやって形にする」ことを目指したほうが、作品として完成まで持っていきやすくなります。
出来上がったものが、理想とは程遠くても、それが今の自分です。仕方ありません。それを受け入れて、そのときの自分で正面からぶつかっていくことのほうが大事です。
「今の自分は仮の姿だから」「本当はもっといいものが作れるはずだから」と自分を認めようとせず、言い訳ばかりしてつくった作品よりも、今の自分にできることのなかで精一杯やってこれでした、という作品のほうが僕はよほどその人らしく、また誠実だと思っています。
だから、僕はせめてダサくないものを作ろうとしています。ダサくないものというのはつまり自分に嘘をつかず、誠実であろうとしたもの、という意味でもあります。
理想に縛られて動けなくなるより、今の自分を受け入れてしまったほうが、自分は前に進んでいきます。
質にとらわれるのをやめましょう。それよりも自分に誠実になりましょう。
質にとらわれると、ちょっと間違えると、自分の外側に正解を求めるようになっていきます。それは自分を固くしていく行為です。
誠実であろうとすれば、意識は常に自分の内面に向かっていきます。誠実に自分を見ようするとき、その眼差しきっと、厳しいものでなく、あたたかなもののはずです。そのあたたかな目で見つめられたあなたは、きっとゆるんでいきます。
今の自分にできる精一杯のことをやっていけば、自分らしい誠実で素直なものが自分から出てくるはずです。そのことを信じてください。
そうやって積み上げていくことで、自分への信頼が増し、結果として自信も出てくるようになったり、質も上がってくるでしょう。
(次回につづく)
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