思い込み

「思い込み」っていうのは、自分で気づいていないから、「思い込み」なのである。

つい最近まで、いや数日前まで、ずっと「ダサい仕事はしたくない」と思ってきた。

ダサい仕事(どんな仕事なのかは、ここでは言わないが)をすると、自分が自分でなくなりそう、というのがその理由だった。

ダサい仕事をしていると、自分がどんどんダメになっていくし、世の中にとっても悪影響を及ぼす、みたいなことを考えていた。

だから、仕事はとても選んでいたわけだが、どこかで自分で自分を苦しめているというか、自ら窮屈な思いをさせている気も、うっっすらしていた。

ここ数年、自分が今ひとつ、パーンと抜けきらないことに苦しんでいたし、自分の中で一致感がなくてモヤモヤしていた。

それが数日前、奥さんに仕事の相談をしたら、「そんなに他人の目を気にしなくていいんじゃないの?」と言われ、そのとき初めて、俺はただ、他人の目を気にしていただけなんだと気がついた。

つまり、
「ダサい仕事をしたくない」は、言い換えれば、
「〇〇さんにダサいと思われそうな仕事はしたくない」
ということであり、
「ダサい仕事をすると自分がダメになりそう」は、翻訳すると、
「〇〇さんにダサいと思われそうな仕事をすると、〇〇さんに認めてもらえない自分になってしまいそうで怖い」
ということだった。

自分軸ではなく、他人軸で生きていたのだ。
そりゃ、窮屈な思いをして当たり前だし、自分の中で一致感もないはずだ。

基準が「他人から見てどう思われそうか」で生きている。そのことに、全く気がつかなかった。
むしろ、「自分は自分軸で生きている」とすら思っていたので、まさか他人軸で生きているとは思いもしなかった。

これこそ、「ザ・思い込み」である。
そしてさらに、こんなことにも気がついた。

「他人からダサいと思われないような仕事選びをしていることのほうが、よっぽどダサい」と。

めちゃくちゃダサいじゃないか、俺!

それに気がついたら、自分のなかで、パーンと抜けた感じがした。
思い込みに気づき、手放すことができたのだ。

気が、ものすごくラクになっていった。
肩の荷が降りたというか、呪縛から解き放たれた感じすらする。

これまで勝手に狭めていた選択肢が目の前に表れる。
今、僕は何を選んでも自由なのだ。

他人の目など気にせず、自分がやりたいことに素直にやればいい。

仕事だけでなく、あらゆることを素直に望んでいい、と思えるようになった。

僕は、僕の思うように生きていい。
自分の人生を狭めてきたのは、他ならぬ自分だったのだ。

同じカテゴリーの記事
新着記事