2023年、あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
GOOD&SHAREの牧野です。
みなさま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2023年、最初のコラムです。
実は、もともと書いていたものがあったのですが、あまりに偏った内容になってしまったのでボツにしました(坂本龍一さんについて、ひたすら思うことを書くという内容でした)。
お正月三が日、どんな風に過ごされましたでしょうか。
年初なので、目標や抱負について考えられた方もいらっしゃるかもしれません。
僕も、今年やりたいことを、なんとなーく考えたりしていました。
ここ数年は「やりたいことリスト100」を書いていて、印刷したものを手帳と一緒に持ち歩き、ときたま見返しては少しずつ消化していく、ということをしていました。
リストの内容は、毎回思いついたままに書き並べていたのですが、今年はちょっと形を変えて、カテゴリ別に考えてみることにしました。
例えばこんな感じのカテゴリです。
- 行きたい本屋さん
- 観たい映画
- 作ってみたい料理
- 自分で作りたい創作物
- 奥さんにしてあげたいこと
などなど。
こうすれば、いろんな角度から、満遍なく考えられそうだと思いながら、ポチポチとiPhoneのメモに書き留めていたのですが、なんだか違和感を覚え始めました。
なんだか「自分の欲が強すぎるのではないか」という気がしたのです。
あれもほしい。これもほしい。もっとほしい、もっともっとほしい。
これまで、そのスタイルでいいと思って生きてきましたが、年のせいか、「自分ひとりがもらい過ぎてはいけないのではないか」と思うようになってきたのです。
僕が何かをもらう、ということは、誰かが何かを失う、ということでもあります。与えてもらっているとも言えますが、それでも、他者の何かをいただいているわけです。
自然の世界では、食物連鎖があるように、一方的な搾取はありません。一番上層に属する強者であっても、必ず土に還り、最下層へ還元されていきます。
一方向ではなく、円のかたちで、循環しています。それが、自然のかたちです。
それを考えると、僕が、「僕だけの欲」を満たそうとすることは、不自然なことに思えました。
とは言え、先程あげたリストの中には、「観たい映画を観る」など、誰かの何かを搾取しているとは考えづらいものも含まれています。
それでも、リスト全体で見れば「自分の欲を満たすことばかり考えている」という姿勢の塊です。
その姿勢が、今の僕には良くない気がしたのです。
もちろん、自分が幸せであるために、自分を満たしてあげるのは、とても良いことに違いありません。それ自体は僕も賛成です。
人によっては、それこそが大事な時期もあるでしょう。
ただ、今の僕にとっては、僕ひとりが、もらいすぎるのではなく、必要な分だけをもらい、ちゃんと出していく、流していくことが大事な気がしているのです。
もらう「7」、流す「3」というイメージ。
余裕が出てきたら、6対4とか5対5に少しずつスライドしていけたらいい。
どういう形で、外へ還元するのがいいのかは考え中ですが、「人」と関わることがいいなと思っています。
散歩ついでに町のゴミ拾い、などの1人で完結することよりも、目が見えない人のための町内広報誌のオーディオ化ボランティア、のほうに関心があります。
すごく大きなことよりも、身近で、規模が小さなことをしたい。
そんな感じで、今年は、自分の中に、いいエネルギーの流れをつくれたらな、と思っています。
(おわり)