素直な心

色々あって落ち込んでいる。僕は、ことあるごとに落ち込むので、年の半分くらいは落ち込んでいるのではないかと思う。すぐに落ち込むのだ。

しかも困ったことに、発散方法を知らないでいる。「やってらんねーよ!」なんて言いながら、お酒でも呑めればいいのだが、お酒を呑むと頭が痛くなるし、そもそも、「やってらんねーよ!」なんて言うと、ますます落ち込みそうなので、そんなこと言いたくない。

落ち込んでいる時は、自己否定が強めになり、自分には何の価値もないように思えてくるので、何事も前向きに考えづらい。

一旦このモードに入ってしまうと、なかなか抜け出すことができず、ひどいと2週間くらいは何もやる気が起きず、暗い顔をして過ごさなくてはならない。

ただジッと、浮上するのを待つしかなく、本棚にある、普段読まないような静かな本を読んだりして、やり過ごす。

「意味」とか「価値」とか「正論」とかを押し付けてこない、静かな本。

こういうときのために、過去の自分が本棚に残しておいてくれた本。

そうやってやり過ごしているうちに、少しずつ心の重心が真ん中あたりに戻ってくる。戻ってきた頃には、「意味」とか「価値」とか「正論」とかに侵されていない、素直な心で動けるようになっている。

もしかしたら、一種の浄化作業なのだろうか。これはこれで、僕のからだに必要なことなのだろうか。

などと思ったりもする。

苦しいから嫌だけれども。

今も僕は落ち込んでいるのだが、これまでにはない、ある感覚が芽生えている。

先ほども書いたように、落ち込んでいるときは、自己否定が強めになり、自分には価値がないように感じる。

自分が情けなくなり、こんな情けない人間を夫にしてしまった妻に、申し訳なく思う。

それは子供に対しても同じで、こんな人が父親でごめんね、と思う。

まあ、これがいつものパターン。

だが、今回は、少し違ってきている。

今日の夕食後、笑いながら楽しそうに遊ぶ、5才と1才を見ていたら、「こんなにかわいい子供が2人もいるのだから、僕は十分、立派じゃないか」と思えた。

初めての感覚だった。

子供が笑っている。楽しそうにしている。

そのことが、僕が立派にやれていることを、物語ってくれているのではないか。

うまくいかないこともあるし、困りごとは残ったままだけれど、そんなに自分を責めなくてもいいんじゃないか。

そんな今までにない、新しい感覚を持つことができた。

この気持ちを忘れないようにと、こうして書き留めているうちに、気持ちも浮かび上がってきた気がする。

今晩は眠れないかな、なんて思っていたけど、案外大丈夫かもしれない。

落ち込みグセには、ほとほと困っていたけれど、人生、少しずつ変わっていくものなんだな。

明日からまた、素直に生きようと思う。

(おわり)

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