仕事とは「いかに自分を知っているか」に尽きるなと思う。

やりたいことが、たくさん溜まっている。

新しく始めるネット本屋さんのために仕入れた本は、届いたダンボールに入ったまま、開封できていないし、本屋で配布する予定のフリーペーパーの作成も遅々として進んでいない。

ほめほめノートの特設ページをちゃんと作りたいと思ったまま、半年くらい過ぎている。

ウェブサイトも、もう少し軽くしたい。

図書館から借りてきた本が、常に数冊、プリンター横に積まれているし、その下には自分で買った未読の本が積まれている。

1日15分でいいからギターを弾きたいと思っているが、いつもギリギリまで仕事をして、そのまま幼稚園のお迎えの時間がきてしまう。

毎週、東京方面に遠出する日をつくりたいが、もう1ヶ月ほど行けていない。

そして、今週も金曜が来てしまった。早すぎる。

詰め込みすぎない程度に3週間分の予定を立てて、なるべくそれ通りに進めようとはしているが、だいたいそれ通りにはいかない。

というより、予定はわかった上で、それを無視して、その日やりたいこと、その時やりたいと思ったことをやっていたりする。

昔はそれを「怠惰」で悪いことだと思っていた。ただ、個人事業主になり、自分にあった働き方を自分なりに模索してきた結果、やりたいことを、やりたいと思ったときにやった方が、燃費がいいと思うようになった。

何かをするとき、特に仕事については、「やる気ない」ことほど、やっかいなことはない。

やる気がなくて、そもそも始められない。でも、どうしてもやらなくてはならないので、無理矢理やる気を出させる。モチベーションとかいうやつだ。

本人はやりたくないのに、無理矢理やらせるために、あれやこれや、外から色んな刺激を与える。カフェインやら、音楽やら、ムードづくりやら、人間関係やら。その気にさせるための、あらゆる方法が、書店やネットにあふれている。

僕も会社勤めしていたときは、それらの方法を試していたし、その手の情報を欲していた。

でも、今は、クライアントワークすら受けておらず、ほぼ自分ひとりで完結する働き方をしているので、そもそも「やる気がないときに無理矢理やる」みたいな場面が、ほぼなくなってしまった。

そしてわかったのは、やりたいことを、やりたいと思ったときにやれば、「やる気を起こす」なんていう行為は必要ないということだ。

そんな考えでは、「やりたくないけど、必要なこと」はどうするんだと言われそうだが、心配ない。

そうしたことも、放っておけば、「いい加減やるか」と思い立つときが、突然やってくるのだ。まさに、降って湧いたように「やる気」が起こる。

その時を逃してはならない。予定があっても、それをザーッと脇にどけ、やりたいことをやる。

あんなに「やりたくない」と思っていたことが、「やりたいこと」に変わり、高い集中力とパフォーマンスを発揮し、気づけば、「やりたくないけど必要なこと」は完遂している。

このパターンに気がついてからは、僕はどんどんやりたいことを優先してやるようになり、やりたくないことを後回しにするようになった。

僕の時間は限られている。仕事もしたいが、家事もしたいし、子供とも出掛けたいし、睡眠だって十分にとりたい。

だから、やりたくないことをやるために、無理矢理やる気を出すことは、なるべくやめた。

もし僕が勤めていたり、クライアントワーク主体の働き方なら、そうもいかないかもしれない。だから、この考え方が、正しいとは思わないし、誰しもができるわけではなないと思う。

ただ、僕は性格的に、人に合わせることが出来ず、人と一緒に仕事をすることに難しさを感じていので、そこから逃げるように働き方を変えていった結果、こんなスタイルに辿りついたのだった。

きっと、誰しもが、自分に合った働き方があるはずだとは思う。その働き方は、本やネットには書かれていないし、尊敬する人や、憧れの人のマネをしても、それが自分に馴染むことは少ないだろう。その人たちもまた、そのスタイルを自分自身で見出してきたはずだ。

誰かに教えてもらいたくても、誰も教えてもらえない。そもそも教えてあげられるものではなく、自分自身で見出さなくてはならないのだと思う。

答えは自分の中にしかない。

仕事とは「いかに自分を知っているか」に尽きるなと思う。

やりたいことが、たくさん溜まっている僕は、まだまだ自分のことがわかっていないんだろうな。

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