ダメな僕のままで。

僕の部屋には、娘が描いてくれた絵や手紙が、至る所に貼られている。夜、娘の寝かしつけを終え、一人でパソコンに向かい、仕事をしたりしなかったりしながら、好きに気ままな時間を過ごし、そろそろ寝ようかという時間になってから、ふと顔をあげたところに、娘の絵や手紙の文字が写り込んでくる。それを見て、「どうして、今日、娘にあんなことを言ってしまったんだろう。」と思う日が少なくない。そして、今日もそういう日の1つだ。

「いっぱいあそぼうね。こうえんにもたくさんいこうね」

と虹色の鉛筆で書かれた文字を見ながら、ありがとうと、ごめんねを同時に思う。

自分はいい父親であるかはわからない。自分の気持ちを抑えることができないことはたくさんあるし、罵詈雑言を吐くことだってある。子供ができる前の自分なら考えられないような、軽蔑してしまうようなこともしている気がする。

それでも、この世界で、彼女の父親は僕しかいない。いくら自分を責めようとも、その役割と事実があるおかげで、僕は踏みとどまっていられる。良い父親でなくとも、悪い父親であろうとも、僕は彼女の父親なのだ。他の誰にもできないことであり、僕が与えられている役割なのだ。

日々、娘に許されてばかりだと思う。あんなに怒ったのに、あんなに泣いていたのに、「きょうもたのしかった」と笑ってくれたりする。幼稚園の送り迎えで、自転車を漕ぎながら、僕がブツブツ文句を独りごちでいるときも、「あそこにバッタがいるよ」と教えてくれる。娘は自分の気分をぶらさないでいてくれる。

僕は心がとても弱く、いろいろなことが我慢できない。僕が吐き出した分だけ、波となって家族に押し寄せている。娘はその波をうまく乗りこなしているかのように見えるが、そうでないかもしれない。僕にはわからない。

以前は、娘が「覚えていない」時期を過ぎてしまう前に、なんとか僕自身のこの性格を矯正しなければならないと思っていた。そうしないと、負の遺産として彼女の中に蓄積されていってしまうと考えていたからだ。けれども、そんな時期は、もうとっくに過ぎ去ってしまった。僕は相変わらずのままだ。

僕は、僕が思っていたような、良い父親にはなれなかった。きっと、これからもなれないだろうことはわかっている。だから過去形だ。けれど、この良くない僕のままで、僕は父親をやっていくしかないのだとも気づくことができた。僕がやるべきことは、良い父親になることではなくて、たとえどんな自分であろうとも、父親をやり続けることだ。自分に幻滅しながらででも、父親という役割を投げ出さず、全うすることなのだと思う。もしかしたら、この先、娘に嫌われてしまうことだってあるかもしれないが、それでも生きている限り、父親をやり続ける、ということなのである。

また、明日も父親をやらせてもらおう。ダメな僕のままで。

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