セルフケアとして日記を書く。

こんにちは。
最近、日記を書きたくて仕方ないのですが、投稿ばかりしていると、このウェブサイトの「更新情報」が日記ばかりになってしまうのが気になってしまって、なかなか投稿できないでいるくらいには気弱な、GOOD&SHAREの牧野です。

前回の日記では、少しセンチメンタルな気分で書き出したので、なんだかしっとりした文体になってしまいました。書きながら聴いていた音楽に影響された気がします。今日はもう少しライトというかニュートラルな感じで書いていこうと思います。

日記をどうしてこんなに書きたいのか、はっきりとしたことは自分でもよく分かりませんが、言葉にすると、いくつか理由があるように思います。

一つは、「僕の話を聞いてほしい」という気持ち。書いていて、とっても恥ずかしくなってくるのですが、こういう気持ちがあるようです。これは承認欲求なのでしょうか。分かりません。が、とりとめもない話を誰かに聞いてほしいのだと思います。めちゃくちゃ恥ずかしいですね。

本当は、身近な人に思う存分、話を聞いてもらえたら良いのですが、僕が一番聞いてほしい相手である奥さんとは、なかなか話ができる時間もタイミングも取りづらいのが、子育てのなせるところであります。子供といる時間は、子供が全てのど真ん中におはしますので、必要な話ですら「ちょっとお母さんと、お話しさせてね」と言ってからでないと、話せません。なので、とりとめもない話を心ゆくまで自分のタイミングで話すことなど、高難易度のことなのです。

だからこうして、日記を書きたくなるのでしょう。ね、ここまで、本当にとりとめもない内容ですよね。読んでくださっている、あなた。ありがとうございます。

他の理由としては、誰かの日記を読むのが好きなので、自分も書いてみたくなる、ということがあります。エッセイが好きなんです。誰かの「まとまった大きな何か」というより「まとまりのない、小さな何か」が好きなのかもしれません。いいことばかりでなく、嫌なこと、辛いこと、悲しいこと、わからないこと、もやもやしたものなんかが、書かれたものが好きなんだと思います。つまりは日常ということですね。だって、日常って、単純じゃないですよね。少なくとも僕は「今日も、いいことしかなかった日!以上!」なんて、スッキリした日は少ないです。いいとも、悪いとも言えない、白黒はっきりしない、割り切れないことが重なり合った塊みたいな日ばかりです。

だから、そういう同じような誰かの日記を読んでいると、癒やされるというか、自分だけじゃないんだなと思えるんですよね。それで、僕も書きたくなる、という。

最近読んで強烈だったのは、植本一子さんの日記本でした。たまたま近所の本屋さんで手に取り、立ち読みをしたのですが、「え…こんなこと書いて大丈夫なのかな…」と読んでいるこちらが冷や汗かいてしまうような、みぞおちをえぐられるような日記でした。書籍として刊行されているので、その分の重みが強烈すぎて買えませんでしたが、代わりに、もっと短い自主発行の小冊子を購入しました。でもやっぱり、ここまで書けるのすごいな、と思わざるを得ない文章でした。

あとは、坂口恭平さんが書き始めた日記も好きです。坂口さんにしたって、植本さんにしたって、家族のことが結構出てきて、そこまで書く勇気は僕にはないのですが、でもここまで書けてしまうと、生きやすいのかもしれないなと思ったりします。

僕は日記をこうして書く上では、なるべく自分のよくないなと思う部分や、ダメだなって思っていることを、書いていきたいと思っています。隠さない練習というか、怯えなくて済む練習をしたいのです。こういう部分を隠して生きていこうとすると、カッコつけなくちゃいけなかったり、バリアを貼らなきゃいけなかったりします。それは自らの生きづらさに繋がってしまう。

だからもしかしたら、日記を書き、自分の弱さを公開していくことは、セルフケアというか、自らの処方箋になっていくのかもしれません。だから日記を書こうとしているのかもしれません。分かりませんが。

でも、誰にも読まれずに、世界からスルーされまくって、インターネットに浮かぶゴミになってしまうのも、すっごくさみしいですので、もし良かったら、これからも読んでいただきたいです。(反応をいただけたら、もっとうれしいです)

なんだかとても幼い日記になってしまいましたが、それは僕がそういう幼い人間だからなのでしょう。最後まで読んでくださってありがとうございました。また書こうと思います。

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