本を読むということ

本屋を始めたからなのか、これまでにも増して、本をたくさん読んでいる。そして、読む本の系統が少しずつ変化している。これまで手をつけてこなかった回路が開いている。

まず、海外文学作品。
高校生の頃、ヘッセ『車輪の下』を読んだ際、多すぎる情景描写が全く入ってこなくて早々に読むのを諦めて以来、読んでこなかった海外文学だったが、先日ふと思い立ち、図書館でバーナード・マラマッドの短編集を借りてきてみた。おそるおそる読み始め、1話、2話と読んでいくうちに、じんわりとその良さがわかるような気がしてきた。個人的には、USインディー・ミュージックを聴いている時と同じような心地よさを感じる。この世界観好きだわ、と思える居心地の良さ。戦後アメリカ、移民、ユダヤ人、貧困、市井の人々の暮らし。
訳者が柴田元幸さんというのも良かったのかもしれない。マラマッドの他の作品、そして他の柴田さん翻訳作品などを少しずつ読み集めていこうと思う。何がかわからないが、自分の世界が少し違う方に、明るい方に開いている気がするのだ。

次に現代思想・哲学。
これは『現代思想入門』(千葉雅也・講談社現代新書)を読んだことがすごく大きい。この本を通じて、哲学は、自分の生活や悩みに対して、とても実用的だと気づいた。哲学は助けになる。これまでの歴史の中で、脈々と受け継がれてきた先人たちの知恵が詰まっている。マジでありがとう。

難しくてわからない部分もあるけれど、言葉を少しずつ知ることで、自分の悩みへの理解も深まっていく。

例えば、僕は怒っているとき、口に出すセリフと、真反対のことを頭の中で考えていて、相反する自分に苦しむことが多いのだけれど、これは「超自我」という言葉で言い表わすらしい。
ずっと解決できずに、同じ場所でループし続けてきた自分の悩みに、一つ「超自我」という言葉が与えられたことによって、僕はこれを手かがりに、つぎに進むことができた。
今は『生き延びるためのラカン』(斎藤環・ちくま文庫)を読んでいる。分からないなりに、ページをめくるうちに発見がある。もしかしたら、カウンセリングを受けるより、自分に合った処方箋を自分の手で作れるかもしれない。

「難しく考えんなよ!」という人がいるが、僕はずっと「難しく考えてしまう」ことがコンプレックスだったし、実際にそう言われると、自分が面倒でダメな人間だと思ってしまっていた。もし、僕と同じように思ってしまう人がいたら、哲学はあなたの助けになるかもしれないです。

最後は、石牟礼道子と、水俣病。
『小さき者たちの』(松村圭一郎・ミシマ社)を読み、どうしてあんなに坂口恭平が石牟礼道子、石牟礼道子、と言っているのかが、よくわかった。水俣病が、単なる公害病ではないこと、そして今なお続いているということも。
思うことがありすぎて、うまく言葉にできないのだが、自分が自分のためだけではなく、自分の家族ためだけ、というのでもなく、他者も含めて生きていきたいと思い始めている。もっと石牟礼道子と、水俣病のことを学びたいと思い、それぞれの本を買った。

他にも、和声学の本とか、BRUTUSのジャズ特集号とか、猪谷六合雄の本とか、同時にバラバラな種類の本を読んでいる。少しずつ、自分の世界が変化している気がする。

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